2013年御翼4月号その3

完璧な親ではなく「祈る親であること」になる

 

 クリスチャンの作家、シンガー、作詞家のストーミー・オマーティアンは、精神的に病んだ虐待的な母親に育てられた。そこで、長男が生まれた時、自分には子育ての模範がいなかったことに気づき、心配し、悩んだ。彼女は、片っ端から子育て関係の本を読みあさり、子育てのクリスチャン・セミナーがあればすべて出席した。そういった「よい情報」に頼って最善を尽くそうとしたが、決して満足できず、息子の社会的、霊的、感情的、また精神的成長について心配した。また、誘拐されないか、溺れないか、ひどい事故にあわないか、大けがをしないか、病気にかかるんじゃないか、性的辱めを受けるのではないか、いじめられはしまいか、死ぬんじゃないか……。将来に起こりうるあらゆる最悪の可能性が脳裏に浮かんだ。しかも、彼女と夫は犯罪が多いロサンゼルスに住んでいた。
 ある日、祈りの中で、ストーミーは主に叫ぶ。「主よ! 私には負いきれません! 二十四時間息子から目を離さないでいるなんて無理です。私はどうしたら平安になれるのでしょうか?」続く数週間の間、主は彼女の心に、「クリストファーをわたしにゆだねなさい」と語ってくださった。彼女と夫は、教会の礼拝で息子を主にささげていた。しかし神は、それ以上を要求された。主は、日々の日常の中でも息子をささげ続けるように求められたのだ。それは親としての責任を放棄してもよいという意味ではない。完全に「主と共に歩む」(すべてにおいて主のパートナーとして協力し合う)ことを宣言することなのだ。主は私たちの重荷を負い、人の限界を超える知恵と力と守りと能力を備えてくださる。もちろん、親の仕事として、子をしつけ、教え、養うべきであるが、根底では、子どもたちを祝福してくださる神に頼るべきなのだ。
 祈りにおいて、わが子への要求や望みを求めがちであるが、そのような祈りは、結果としてイライラと失望に終わるだけである。祈りは神のご臨在を求め、私たちに与えられるどんな問題をも克服させてくださる、主の御力を解き放つことなのだ。祈らないならば、自分以外の助けはいらないと言っているのも同じである。私たちの人生、そして子どもたちの人生に起こる重要な事柄は、神のご介入と御力なしには成就されないのだ。みことばに示される主の導きに従って祈るなら、そして主イエスの血潮の御力を通して私たちに与えられている力と権威を理解するならば、さらに効果的に悪魔を打ち負かすことができる。「主を見上げ、主と共に歩み、主を待ち望み、主を礼拝し、そして主のみことばの中に生きるのなら、私たちは、子どもたちのための戦いに勝利できるのです」とストーミーは言う。完璧な親が子どもの人生を変えるのではなく、「祈る親であること」が違いを生むのだ。

 
†祈  り

主よ、主イエスの御名によって(子どもの名前)をあなたにおささげします。ただあなただけが、あの子にとって何が最善であるのかを知っておられることを信じます。あなたはあの子に必要なものをご存じです。どのように祈り、何について祈るべきかを導いてください。あの子のために祈る時に、自分自身の希望を押しつけることがないように助けてください。あの子の上にあなたのみこころが成就することを祈れるようにしてください。移ろいやすく信頼の置けないこの世の子育て論・教育論に頼らずにすむこと、祈ることによってあなたのみことばと知恵からはっきりした進むべき方向を示していただけることを感謝します。主よ、あの子というすばらしい賜物を感謝します。すべてのよい賜物はあなたからのものであるとみことばに教えられましたから。あの子を世話し、育てるよう私に送ってくださったのは、あなたです。私がそうできるように助けてください。そしてあの子を、あなたの保護と導きにゆだねることができるようにしてください。すべてをあなたが支配しておられると確信し、平安と喜びのうちに生きられますように。私はすべてのことについてあなたを信頼します。そして今日この日、あの子をあなたの御手におゆだねいたします。

 娘のアマンダ・オマーティアン(十三歳)は、以下のように記している。
 私の学校にとても意地悪な子がいて、私は彼女が怖くて、近づくのも嫌でした。母は「一緒に祈りましょう」と。私もそうしようと思って、その学期が終わるまで、そして夏休みの間じゅう母と一緒に毎日祈りました。次の学期に、奇跡が起こりました。彼女はすっかり変わっていて、私の親友の一人になったのです!このことは私の人生を変えました。今までで最高のできごとでした。
 息子のクリストファー・オマーティアン(十八歳)
 僕は本当にすてきな両親に恵まれたと言わざるをえないよ。いちばんすごいと思うのは、僕と妹のために祈ってくれるその根気強さなんだ。この十八年間、両親はいつも僕の安全のために祈ってくれていた。ロサンゼルスにいた頃は、この祈りが僕を危険から守ってくれた。僕が高校一年の時、恐ろしい自動車事故から守られたことが忘れられない。この時僕は、祈りがいかに重要なものか、そして、危機的な状況のただ中で働く神様の恐るべき御力をはっきりと知ったんだ。

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